2匹目のネズミ ― 元公務員の水面浮上 ―

[実録] 前向きに公務員を辞めるも炎上していく生活をゆるく記録します。

公務員を辞めたら3

f:id:ukisugi28:20180117193224j:image

りゃあー。人に会う日に限って久しぶりに風邪。喉が焼けて朝起きたら鼻血か詰まってるこの感じ。嫌やぁーもぅ。

で前回は似非ライター期の話書きました。
この時期は辞めたことによる諸々の手続きもやってました。税務課には4年いましたし国保も扱ってたんで内容は分かるんですがやはり面倒ですね。毎年なんらかの改正がありますしね。地方自治体だと改正にシステム改修がうまく追いつかず、結局人の手や目でのチェックも並行したり。現場の方お疲れ様です。そんな苦労はつゆ知らず、いや知ってる僕でも手続き面倒に感じる。BI導入とか実現すればそのへんの判定作業がなくなるのはやはり魅力的だなと思います。
話がそれたけどライターの仕事にあまり期待できないなということで、次に考えた仕事は対人関係のコンサル業です。大学で心理を学んでいた頃、自分が考えた対人関係の心得を体系化したものが何人かの同級生に役立ったと褒められたもんで、自分のホームページを立ち上げてそれに基づいたカウンセリング業務をやろうと思いました。ホームページは今簡単に作れるんですね。JimdoやWIX、グーペなんか本当、プログラミングの知識なしでそこそこ立派なページができました。1年間無料で利用できる独自ドメインを用意して開設したものの、まさに無人島生活🏝。アクセスが全くありません。SEOの知識もなかったので当然といえば当然。そのあとココナラさん等ネットでサービスを販売できるプラットフォームを利用すると反応や問い合わせは少しいただけましたけど、注文が入ることはなかったです。でもまぁこれは納得ですね。顔も出して謙虚目に売り出してるわけですが、実績もない得体の知らない男にお金を払うかってまぁ払わないですよね。僕もたぶん払いません。これがWord Pressの構築だとか、プラグインを使ってこういう機能を実装させますとか、成果がはっきりしたサービスならまだしも。なんか胡散臭いと思われてもしかたないですよね。まずは飛び込みでも、それこそ路上で無料で誰かの役に立って話題になるとか、王道でわかりやすい資格や実績を提示するとか、相当な努力が必要です。カウンセラーとして勤めた経験なくいきなり商売とするのはやはり難しいですよね。それを実現されている方もいらっしゃいますので、不可能ではないはずですが。
このころはまだ並行してライティングの仕事もやってました。稼ぎはライティングの方でも月に10万円届かず、カウンセリングは色々と勉強にはなったものの収益なし。8月後半、辞めて3ヶ月を迎えようとしていました。ダラダラとは過ごしていない。ただそれだけ。何の結果も出せないまま夏が終わろうとしていました。

この頃の俺は(といってもつい数ヶ月前の自分ですが)『とにかく動いていないといけない』と思ってる感情Aと、『それがお前の辞めてまでしたかったことなわけ?』の感情Bが常に同居していました。感情Aが焦りなのかわかりませんし、残念ながら今現在もこの2つの感情が僕の中にあります。辞めてからとった行動には特に感想はないです。7年間公務員として働いてきて、その頭から『自分で自分に金が入る仕組みはどうつくるんやろ?』という頭に変えようとすると、シワの足りない僕の脳みそではまぁこんな感じでしょう。

でもこの感情Bを客観的に見つめて1つの問題に気づきました。それは『俺は「今の自分」のままで見える世界の範囲で勝負しようとしている』ということです。本当にやりたいこと、なんてことは成功されている方もはっきり見えていないこともあるでしょう。今ここでの成功という言葉の定義は深いものである必要がなく、僕にとってはそれで食べていけることをとりあえず成功とします。その段階にすら程遠い僕がそこに悩み、すぐに答えを出そうとするのは愚かなことです。ただ、公務員を辞めてもなお、自分が決めた世間なのか、親なのか、恋人なのか、誰かを都合よく監視役に配役して、変化を避けている自分がいることに気づいたのです。私は、現実に大きく勝負しないことで『勝負すれば勝てたであろう』という可能性の中に生きている。その可能性の外に出ることが公務員を辞める理由であったはず。辞めてからの自分は、新しいことをしている「風(ふう)」ではあった。でもやはり自分の外に出ていってない。自分の拡張は起きていない。その諸悪の根源は『恥』でした。これについてはまた詳しく。

とにかく僕はこの時に生まれて初めて覚悟をした気がします。生活することと切り離して3つのことを決めました。結婚すること。地元の仲間と離れ東京に行くこと。公務員時代に考えてたことを金になるかは抜きにやってみること。

なんか長々と想いを語ったけどこの3つの実現のためにもまず食えるようにならんと本当ヤバイんすけどね((笑

読みづらかったらすいません。ブログっちこんなやないんかなと思いながらも。しばらくこんな感じでね。続けてみるわ。

公務員を辞めたら2

f:id:ukisugi28:20180114115540j:image

月1日。平日より30分ほど遅く起きた土曜日でした。なんかただ週末といった感覚。前日で退職した実感が全くなかったことをはっきり覚えています。辞めたあと早寝早起きだけは徹底しようと思いました。自分の性質を考えると「久しぶりの無職だから2週間くらいゆっくりするか~」ちゅうのをやるとマズイだろうなと感じていました。もうきっともどってこれないと((笑

じゃあ辞めてからの生活について計画的であったかというと、全然です。入庁してすぐ、いやもしかしたら勤め始めるそのときから「ここでこれから40年間!」という気持ちが足りなかったにもかかわらず、転職ということについて何のアクションも起こさずに7年過ごしてしまいました。これはどうヘリクツこねようともやはり先を見据えて取り組んでおくことに越したことはありません。さらに私は恥ずかしながら元々酒飲み、3年ほど前色々重なった時期に拍車がかかり思いっきり散財しました。かっこ悪いですが6年付き合っていた彼女にフラれた時期でもありましたねえ。なので十分な蓄えもありません。努力が裏にある勇気ある退職ならいいのですが、単に金もコネもアテもない船出をしてしまいました。

しかし必死に自分を正当化するなら(させてくれ)「○○を身につけたら、○○が手に入ったらその時に公務員退職しよう」という発想ではいつまでたっても今の環境を捨てることはできなかったのです。少なくとも私は。7年もいればキツイ部署であろうと人間やはり現状を維持したいという心理に縛られるのです。なので崖から川に飛び込んだことある人はわかると思いますがあのヤケクソな感じの「エイ!!」で飛び出しました。

しかし蓄えもないので退職前2ヶ月ほどからバタつくようにクラウドソーシングのプラットフォームを利用し、ライティングの仕事を始めました。文章を作るのは嫌いではなく、また広報作成で原稿起こしから担当した経験もあったのでなんとなくです。退職後も3ヶ月ほど継続しましたがなかなか厳しいお仕事ですね。月ウン十万在宅で稼ぐ方もいらっしゃるようですが、これは心身にあまり良くないかもと思ってしまいました。

確かに10万代なら根気でいけるんかなぁ。でもそっから先のウン十万稼ぐ人はイチライターとして仕事をもらえる、つまり○○さんの名前で記事を書いてほしいという次元まで突き抜けることのできる優秀な方々なのではないでしょうか。頂く金額以上に辛かったのは自分の知識やリサーチによってできた成果物が他の会社さんの所有物として出回っているのをネット上で目にしたときですね。これは感情的な話ではなく、大きな流れの中で搾取されている側だという再確認をするからです。仕組みを使うために手数料を払い、さらに作ったものは自分の資産にならない。ここで自分は退場(負け)しました。サラリーマンの安定性がないバージョンをやってる時間は自分にはないなと。

そこで次の仕事を考えます。結論から言うとその次も失敗します。そして先にはっきりしておきますけどその後以降も今んとこ俺は成功していません。((`_´)ゞキリッ

公務員を辞めたら1

f:id:ukisugi28:20180113121724j:image

017年3月中旬。
異動の内示を翌週に控えた職場は浮足立っていた。
4月異動は新人のはりつけと退職者による玉突きメインだが、この何年かは世代的に退職者の数も多い。
俺この異動直前に内示が行われる仕組みがめっちゃ理解できなかった。(またこのことはどっかで書くとして)

そんな雰囲気の中、私だけは他のことで頭がいっぱいだった。退職を現実的にイメージして早3年、意識したころからだと5年が経過していた。
今抱える事業の状況、今後の動き、所属課課長の退職。
今年だと思っていた。

自分には思ったことを言えるくらいしか取柄がないが、さすがにこの時はサラッと周囲に話せなかった。
ある夜。時刻は23時頃。2年間二人三脚でやってきた
頼れる先輩と2人きりの瞬間が訪れた。引きつった笑顔で切り出した--

 

伝えた後の沈黙が長かった。
先輩は目を閉じて頷いていた。
俺に頷いたんやなくて、自分の中で色んな言葉が生まれてはそれを消していたんだと思う。
最初に出てきた言葉は「ごめん」だった。
自分や自分と同じ世代がこの仕事に夢を感じらるような背中を見せられんやったと。

そんなことはもちろんなかった。
他業種で働く場の雰囲気はたくさん見てきたけど、私の働いた役所の雰囲気は悪くないほうだった。問題ももちろんあったが、基本的に優しいタイプの人が多かった。
そんな中でもこの先輩は優しい方で、上層部からの仕事の評価も高く、後輩の面倒見もいい。二人三脚とか書いたけど、『細かいことを当たり前に、確実にやること』の大切さを6歳上のこの先輩についていく形で学ばせていただいた。若い力で行政が変わっていく可能性を感じることもできた。だからその言葉には鈍感めの自分の胸もさすがに痛んだ。

次の日の夜。僕は同じようなシチュエーションで係長に辞意を伝え、その後伝えておきたい人に順番に辞める話しをしていった。自分から話した人は少ないけどこういう話はわりとすぐ広まるもんだ。聞かれることや反応に慣れてきて、4月末には退職への想いもだいぶ上手に話せるようになっていた。

この時かけてもらった数々の言葉はこれからも忘れたらいけんと思う。でも相談窓口である人事担当者の職場のアイドル(Coolな感じの俺の同期)だけ「あー。思ったより早かったなぁ。ウツって感じはないし。入ったころからずっとここいなそうと思ってたからそんな話くると思った〜」って笑顔でした。なんかこういう時に女子ってスゴイと思うなあ。辞めるまでに何回も食事とか優しかったな。

なんかいきなり湿っぽくなったけど、無事に7月の本異動のタイミングで退職することができました。はい。

デスマス調のがいいんかなぁ。。

僕?ボク?俺?私?。。。ワタシ?

オヌゥシぃ?

まいや。はい。失礼。おしまいす。

 

ブログ始めてみます

りがちな発想でしょう。

年も明けたのでブログを始めました。

ライフログになるほど真面目にできる気はしませんが、

生活の変化が多い最近だからこそ今かなーと。

 

まずは2017年の後半を振り返ってみよ。

公務員ネタが多くなりそうな気がする。

彼らへの世間の目は辛いものがあるけど、このブログが息抜き、いやヒマ潰しくらいに読んでもらえたらいいかな。

 

ライフログと打ってラフロイグ飲みたい自分。。。

大丈夫かな。

とりあえず開設したけ、乾杯。

f:id:ukisugi28:20180112165740j:plain